国造神社といえば、とにかく大きいらしい手野の杉が有名なところ。今回は、神社に行くというより気分的に杉がメインで出かけました。
阿蘇の大観望から、車でぐんぐん阿蘇市内に下っていると、国造神社の看板が見えます。
「国造神社→3キロ」
あと3キロならもう少しね♪と1車線のくねくね山道を下ると、ずんずん山奥にはいって行きます。大丈夫なんだろうか?と心配に思ったその瞬間。ポリタンクを抱えた人々の群が!こんな山奥になんで??思ったら、湧き水がわいているようでそれを目当てに黒山の人だかりができていたよう。
平日の午前にこれだけの人が集まると言うことはかなりおいしいに違いないと確信しましたが、早く目的地に着きたかったので行列が気になりつつも国造神社へ車を進めました。せっかくの森の中なのでBGMを消し、窓を開けて、さわやかな秋風を感じながらのドライブ。季節はずれのホトトギスの声も聞こえてきます。
山道をそろそろ下りきり、人家もちらほら見えたころ今度は水量豊かな川のせせらぎの音が聞こえてきました。ここの川を渡るとお目当てのホーリーな場所「国造神社」に行けるようです。
駐車場に車を止めて、辺りを見回すとすぐそばの建物の中にに大きな切り株が保存されています。
おお!
大きすぎる切り株にかなり圧倒されたのですが、手野の杉のほうが有名ってことは・・・かなり期待できそう!ということで境内へ。
前日まで、お祭りだったようで境内は掃き清められ、鳥居には飾り付けが施されてありました。それをくぐるとそこは、木々のざわめきと、自分の足音しか聞こえない秋晴れの一人きり。結構な水量が流れる川にかかる橋を渡り、手水で身を清めます。
ひしゃくを右手で取り、まずは左手を清めます。次は、ひしゃくを持ちかえ右手を清め、再び、ひしゃくを持ち替えます。それから、左手に水を受け、口を漱ぎます。再び、左手を清め、残った水でひしゃくの柄を洗うごとく柄を下にして水を柄の方に向けて流せば完了!形式的なことで、ちょっと面倒だなぁ。と感じることもあったりしますが、ホーリーな場所に入らせていただくための大事な儀式。普段、ぐうたらで適当をモットーと生きてる私もこんなときはちょっとだけしゃきっとした気分で身を清めさせていただきます。
さて、手水舎からまっすぐ階段を登ると本殿ありますが、何をさておき、まずは手野の杉に会いたかったので私は右手のわき道に入りました。
緑の香りがぷんぷん~
深呼吸したりしながら、ゆっくり緩やかなスロープを登ります。
駐車場脇の切り株もさることながら、このスロープ沿いの杉もなかなか立派なものなので、否応なしに手野の杉への期待が膨らみます。
坂道を登りきると・・・
真正面にでーーんとそれはありました。
切り株なのにそれはかなりの迫力・・・
それは、とても明るい光に満ちていて、そっとふれると、体が温まってくるようなそんなほんわかしたいい気分にさせてくれます。
その、心地いい雰囲気は、初めて訪れた場所なのにとても懐かしく暖かな心地にさせてくれます。
この杉は、風雨に倒れてもなお、地元の人の心のよりどころとして、大事に保存されているだけのことはあるすばらしいご神木であることを否応なしに実感できます。そうして、手野の杉は、もう青々とした葉をつけることも花を咲かせることもないけれど、まだ生きていて、ここを訪れるみんなをあたたかい眼差しで見守ってくれてるに違いないと。
手野の杉にお目にかかった後は、本殿へ。
こじんまりしているけれども明るく気持ちのいい本殿です。
たった一人でそこにいたせいかもしれませんが、そこに佇んでると、今までの穢れをすべて祓い清め、自分の未来が明るく開けていくような勇気と元気を与えてくれる。そんな気にさせてくれるところです。
手野の杉といい、本殿といい、しばらく離れたくないような別れがたい心境にさせられる神社ってそんなになかったような気がするのですが、ここは本当にふるさとというか実家というかそういういつでもあたたかい雰囲気を持った小さいながらも本当に大きな懐の神社であると感じました。
神様なんて、本当はいないのかもしれないけれども、静寂の中に身をおき、長年大事に守られてきたものに対して畏怖の念を抱き、その中で己と向き合う。そんな時間を持つことはとても心地いいことだし、豊かで、実り多き人生過ごすためには大事なことではないかと思います。
最近のコメント